2019年2月26日火曜日

建築の考え事



昨日から頭の中をぐるぐると回ってる考え事がある。 分業、といえばいいのか。建築は幅広い。とりわけ、意匠・計画・構造・設備・施工と分けられることが多いが、その学びについてだ。 つい先日、留学生と話す機会があった。一人は「興味ある分野を専攻すべき(他分野は人に任せる)」、また一人は「他分野も知る努力をすべき」と意見が分かれた。 私はその両方とも、言いたいことがわかる。生徒諸君と同様に、興味ある分野は伸び率が高い。学ぶことが楽しいからだ。だけれども、そればかりでは仕事はスムーズに進まない。他分野を知ること、知見を広げることで、打ち合わせや工事はスムーズに進む。思いやり、配慮、そういったものに近しい余裕が生まれる。楽な仕事は好まれるから、信頼関係が強く、斡旋も受けやすく、融通も効き、仕事がしやすくなる。 ここ最近、自分の“逃げ”が露呈したのである。 これまで、意匠や計画を苦手としてきた。人の使う、滞在する空間における、心情の移り変わり、印象の変化。このイメージが甘い。大学のエスキースでは何度もっと考えろと言われただろうか。ハコモノの公共建築っぽい、つまらない、安直と。 自分はそこから、何も学ぼうとしなかった。変なプライドを盾に、向き合わなかった。逃げに徹した。だから、何も学べなかった。とてももったいない話だと、貴重な時間を浪費したと、今では感じる。 ただ、昨年から今年にかけて、状況に変化が出てきた。 藤本壮介氏の講演を拝聴させていただいたり、建築探訪でぐるり回ってきたり、生徒の指導を通して、その意匠、計画性に大変感銘を受けた。もちろん、建物と人々との快適な付き合い方、環境性能といった、今日この頃における設備の在り方を含めての話である。 それだけではないかもしれない。同級生や後輩、生徒たちのひたむきまでな、建築への情熱に中てられたかはわからない。情熱と、その裏側に見え隠れする努力。意匠や計画に身を置く同級生、後輩に置いて行かれるような、焦りも少々感じているのかもしれない。




しかし、自分は自分だ。今更意匠や計画を専攻しよう、というところまでは及ばないかな、と思う。 実は、ここ数年で気づいたことではあるが、計算や式を解くのが、答えを導く過程を考えるのが楽しく感じる。思い返しても、中学や高校、大学では数学や物理でいい点を取った覚えはない。ましてや力学もだ。しかし、この一年で力学を教える立場にまでなってしまった。 慣れとは恐ろしいもので、Excelのシートで計算式が不明の数値を逆算し、条件式をピタリと当てたこともあった。偶然であろうが。 楽しいということは、今の自分にとって、設備を考えることや計算事は、興味あることなのだろう。 仕事をやりやすく、楽しくする努力はしてきたつもりだ。であるから、最低限は「他分野を知る努力をすべき」、なのであろう。もちろん、先述した同級生や後輩たちは、設備や環境について知らない、わからないという。その手助けを今度はできればな、と考えてはいる。 ぐるぐると回っていたものを整理するためのはけ口としたので、まとまっていないのはご勘弁願いたい。 要は、ここ数年の反省文と、未来に向ける抱負、といったところだろうか……。